名古屋市内を抜ける東海道沿いに静かに佇む古い町並み、有松。suzusanのルーツはこの小さな町にあります。江戸初期の1608年、この山間の土地に盗賊が頻発していた対策として幕府の命で開村し数家族が入村しました。農作物に不向きであったこの地域で、入村した家族が策を凝らし手ぬぐいを染めて東海道を歩く旅人たちに販売をしたところ人気を博し、その後「有松鳴海絞り」として全国に知れ渡るようになります。 江戸時代には産業として華やかな発展を遂げ、この繊細な手仕事を通して浴衣や着物など日本の生活に彩りを与えてきました。すべての工程が分業制であり、各家庭ごとに代々受け継がれてきた技法は、最盛期には200種類以上の柄を生み出し、この小さな町は多くの職人で賑わいました。しかし時代の流れと共にこの繊細な文化も衰退を辿り、ひとり一技法で受け継がれる中、多くの技法がこの世から姿を消してしまいました。 絞りの分業のひとつ「型彫り」と呼ばれる工程を100年以上にわたり引き継いできた鈴三商店の家に生まれた村瀬弘行は、留学先のドイツで改めて家業の仕事に触れ、その美しさと希少な手仕事の価値に改めて触れるとともに、衰退する産地の現状を目の当たりにし、2008年にデュッセルドルフでブランドを立ち上げました。

400年以上の歴史を持つ染色技法、有松鳴海絞りは、布地にその独特の風合いと模様を染め上げるため、極めて複雑で緻密な手仕事による工程を必要とします。 絞りは布を括る、縫う、畳むという工程を、手と指、針や糸といったわずかな道具のみで作られます。硬く糸で巻き付けられた布が染色されたのち、糸が解かれ染め模様が現れ、長い時間を経て一つの布が出来上がります。一枚の布を仕上げるために6-8ほどの工程があり、各職人はそのどの工程も研ぎ澄まされた集中力で布と対峙をしています。布の上を踊るように針が動き、規則正しい動きで糸が手の中で動き回るその姿は、この有松の土地に変わらずに受け継がれてきた風景です。各技法には工程や模様の出方などにちなんだ名称があり、その数は200種類以上を数えます。一つの地域でこれだけの技法を生み出す発展を遂げた染色技法は学術的に見てもとても稀で、当時の職人達がより美しい柄を生み出そうと鍛錬を重ねた静かな情熱を感じます。 何世紀を経た今もこの技術ができた当時と変わらない工程で全て人の手で作られ、日々この小さな土地に培われてきた技術を今につなげています。

有松の地域の職人の家業の5代目として生まれた村瀬弘行は、美術を学ぶために20歳でイギリスに渡りその後ドイツ、デュッセルドルフのクンストアカデミーで立体美術と建築を学びました。日本を離れて過ごす中で改めて生まれ育った地域の伝統技術の美しさに触れ、また消滅しそうな手仕事の文化を未来に繋げるため、2008年在学中にsuzusanブランドを立ち上げます。それまで木綿を使った浴衣の産業で成り立ってきた有松の伝統に、カシミヤやアルパカなど上質な素材とそれまでになかった新鮮な配色を組み合わせ、より現代的な解釈を加えることで伝統に新しい側面を生み出しました。その後衣服、ホーム&リビングとコレクションは広がり、この小さな町の手仕事は現在世界の様々な地域、風土に溶け込んでいます。また世界中の様々なアーティストやデザイナーとのコラボレーションを通じクリエイティブな挑戦を続け、伝統に新しい革新を生み出し続けています。 そのような活動を通じ有松の工房では次第に若い担い手が集まり、現在では20代、30代を中心にした次の世代の職人が日々技術を磨き、制作をしています。大切に作り、大切に使うこと。この土地に根付く実直な先人たちからの技術と情熱を受け継ぎ、私たちは次の伝統の未来を日々生み出しています。